【大阪市】“直木賞”の“直木”とは? 出身地・谷町六丁目にある「直木三十五記念館」を訪ねて

大阪市中央区谷町六丁目。空堀商店街に近い住宅街で、古くからの建物も残る地域に「直木三十五記念館」がある。
館を運営する事務局長小辻昌平さんに話を聞いた。
小辻昌平さん
| INDEX ・古い建物が残る空堀地区 ・直木三十五の出身地 ・ゼロから始めた記念館創設 ・間一髪で遺品救出 ・直木三十五に思いを馳せて ・直木三十五記念館の概要 |
古い建物が残る空堀地区
「空堀地区は戦禍を逃れたため、古い建物が密集して残っているところが多くありました。街の魅力を発信するため古い建物を改装する時に、商店だけでなく、公共的なものを作りたいと、仲間たちと思ったのです」と語る小辻さん。
そこで、この地で生まれ育った直木三十五の記念館を作りたいという考えに至ったそう。
直木三十五の出身地
「“直木賞”は有名ですが、そのもととなった作家“直木三十五”がこの地域出身だと知っている人は少ないかもしれません」。
生家は安堂寺町にあり、桃園小学校から市岡中学、代用教員などを経て早稲田大学に進んだが、学費に困って中退。
「退学後も授業には出続けて、卒業写真にも写ってるんですよ」。

そんな直木の様子がわかる記念館の展示。
一つ一つ見ていくと、何て面白い人なんだろうと直木三十五への興味が大きくなっていく。
ゼロから始めた記念館創設

「記念館創設を決めた時には、資金も、まとまった資料も整理された遺品もなく、ゼロからのスタートでした」。
多くの人のサポートを受けつつ、遺品を遺族から寄付してもらったり、古書市場で作品を購入したりして、展示物を集めていったという。
「幸いと言うか……。直木三十五の価値が古書市場で低く、安価で手に入れられたのです」
間一髪で遺品救出
記念館の内装は黒い壁になっていて、「横浜の直木の自宅が、“黒い家”と言われていたので黒壁にしたんですよ」。
実際はそこまで「黒い家」ではなかったが、玄関がないなど、独特の間取りだったそう。
「借金取りしか来ないから、人を歓迎する仕様ではなかったとか……」。
横浜市金沢区にあった家は取り壊されることになり、「寸前で家財道具などを譲っていただいたんです」。
直木三十五に思いを馳せて
筆名の「直木」は本名の「植村」から、「三十五」は年齢から付けられた。
代表作「南国太平記」のような小説執筆だけでなく、出版、雑誌の編集、映画製作など多くの活動を行った直木。
43歳という若さで亡くならなければ、さらにベストセラーを世に出し、大ヒット映画を作ったかも……。
記念館を訪れた人が綴ったノートには「直木賞は知っていても、三十五は知らなかった」「直木三十五のことはゲームで知った」などの感想が。
直木本人が知ったら、「何それ。賞?ゲーム?」と興味を持ちそう。
直木三十五の人となりが伝わってくる記念館。何度も訪れたい雰囲気だ。
直木三十五記念館
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記者 < 田中朱実 > 夏は海!冬は山!のアクティブ派、と思いきや、漫画もアニメもドラマも大好き。 着物で観劇に出かけることも。ジム好き、スイーツ好き。一児の母。 |
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