本当に恐ろしい人間は、敵の顔では現れない。信用を得てから牙をむき、被害者の顔で去っていく。|ネコ坊主の今日の一言 Vol.36

よみふぁみでは、毎月第1・第3木曜日に、人間関係が楽になる・心にしみることばを紹介するネコ坊主のネコ坊主の「ネコさんから人間さんへ今日の一言」を連載しています。今回は、「本当に恐ろしい人間は、敵の顔では現れない。信用を得てから牙をむき、被害者の顔で去っていく。」です。
ネコ坊主こと、専念寺住職の藪本正啓です。
危険な人は敵の顔では現れない
人は「危険な人」と聞くと、怒りっぽい人や威圧的な人を思い浮かべます。しかし、本当に気をつけなければならない相手は、最初から敵の顔をして近づいてくるとは限りません。
むしろ、親切で優しく、気配りができて、信頼できそうに見える人ほど注意が必要な場合があります。
人は優しくされると安心し、自然と心を開きます。そして十分な信用を得たあとで裏切られたり、利用されたりして初めて、「あの人はそういう人だったのか」と気づくのです。
さらに、そのような人ほど、自分を被害者のように振る舞うことがあります。そのため周囲は真実を見誤り、本当に傷ついた人が誤解されてしまうことも少なくありません。
本当の姿は日々の行いに表れる
仏教では、人は外見や言葉だけを見て判断してはならないと説きます。『法句経』には、「花は美しくても香りのないものがあるように、言葉だけで行いの伴わない人に価値はない」という教えがあります。
どれほど優しい言葉を口にしても、約束を守らない人。人によって態度を変える人。陰では人を傷つける人。その。
反対に、口数は少なくても、誠実に人と向き合い、困っている人にそっと手を差し伸べる人もいます。仏教では、その積み重ねを「徳」と呼びます。徳は飾るものではなく、自然とにじみ出るものです。
もちろん、すべての人を疑って生きる必要はありません。しかし、です。
善いご縁は時間が教えてくれる
人を見る目を養うということは、相手を疑うことではありません。目先の言葉や印象に惑わされず、その人の生き方を静かに見つめることです。
仏教では、「縁」をとても大切にします。しかし、良い縁もあれば、自分を苦しめる縁もあります。だからこそ、。
人は肩書きでも笑顔でもなく、日々の行いにその人の本性が映ります。だからこそ、時間という物差しで人を見つめること。それが、自分自身を守り、善いご縁に恵まれる第一歩なのだと思います。

