ネコ坊主の「ネコさんから人間さんへ今日の一言」Vol.5「言う側ではなくてよかった」と思うこと


ネコ坊主こと、専念寺住職の藪本正啓です。
ひどいことを言われたときは、「言う側ではなくて良かった」と考えると、少し気持ちが楽になります。
人からひどいことを言われたとき、心がざわつき、傷つくことは誰にでもあるものです。時には怒りや悔しさがこみ上げ、相手に言い返したくなることもあるでしょう。しかし、そんなときに「言う側ではなくてよかった」と考えることで、少し気持ちが楽になることがあります。
私はお寺の住職をしていますが、これまでの人生の中で何度も心ない言葉をかけられたことがあります。特に最近は、檀家離れが進む中で「もうお寺は必要ない」「坊さんは楽な仕事でいいですね」といった言葉を耳にすることもあります。そのたびに悲しさや虚しさを感じることがありました。自分なりに檀家や地域の人々のために尽くしているつもりでも、その思いが伝わらず、否定されてしまうことはやはり辛いものです。
しかし、あるときふと「自分がこんな言葉を誰かに言うだろうか?」と考えました。私は人を傷つける言葉をわざわざ投げかけようとは思いません。それに比べて、ひどい言葉を発する人は、何かしら心に余裕がなかったり、不満や苦しみを抱えていたりするのかもしれません。そう思ったとき、「言う側ではなくてよかった」と感じました。
住職として、檀家の方々や地域の人々の悩みを聞く機会も多いですが、そうした中で気づいたことがあります。辛辣な言葉を発する人の多くは、自分自身が苦しんでいることが少なくないのです。家族との関係、仕事の悩み、将来への不安——―そうしたものが積み重なり、知らず知らずのうちに他人へ厳しい言葉を向けてしまうのかもしれません。そう考えると、相手の言葉に必要以上に心を乱されることも少なくなっていきました。
もちろん、どれだけ「言う側ではなくてよかった」と思っても、傷つくことはあります。しかし、この考え方を持つことで、自分が相手と同じように人を傷つける立場に立たないようにしようと意識することができます。
言葉はときに人を深く傷つけるものですが、それを使う側にならないことが、自分自身の心を守る方法でもあるのです。 誰しも人間関係の中で辛い思いをすることは避けられません。それでも、ひどいことを言われたときには「言う側ではなくてよかった」と考え、自分自身の心を静かに保つことを大切にしたいと思います。